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ミンス記

奨学金とネットワークビジネスによる借金250万円があるけど、生きる。

欲のベクトル

人間にはいろんな欲がある。

 

基本的な生存に欠かせない食欲とか睡眠欲とかもあれば、社会的な欲である見栄、虚栄心、金銭欲とか。

あとは、やりたいことをやる、好きなことをやる、とかも一種の欲ですよね。

サッカー選手になりたい、とかの夢も欲と言える。

 

便利に生活したい、他人を便利にしたいとかも欲だし、それが技術の進歩と経済の成長を実現してきたし、一方で環境の破壊や、生まれた時点での格差をも生んできた。

 

人間にとって、ほんとうに必要な欲ってなんなんだろう、と思うんです。

 

ふたつの極があるとすれば、清貧を美徳とする立場と、すべての欲を完全肯定する立場。

いままで生きてきてぼくは割と極端で、どちらかの極にいて、バランスをとるということができなかった。

 

世の中金がすべてだ、と言わんばかりにとにかく金を追い求め、過労で病むまで働いたり、ネットワークビジネスに手を出したり。

性欲は生物として必要な欲だ!と思って日夜合コンに励んだり、出会い系に手を出したりもした。

かと思ったら、聖書を読みまくって教会に通い、

「清貧こそ人間のあるべき姿、金持ちは天の国に入ることはできない…アーメン」

と祈ることも。

 

いずれにしろなんだか危ない人なんだけど、とにかく生きる軸みたいなのが欲しくて必死だったんだと思います。

 

最近は、いったんシンプルに考えてみることにしました。

幸せに生きるために必要な欲って、なんなんだろう、どのくらいなんだろう、と考えたわけです。

 

重要なのは、欲のベクトル、つまり、欲の大きさと方向性を冷静に分析して、コントロールできることなのではないか。そのときに参考にするべきものが、自然だと思うんです。

 

欲を冷静に分析する、というのはブッダの四聖諦の考えだと思います。(半端な知識)

それから、ちょっとだけ聖書を参照すると、野の百合、空の鳥を見なさい、ってあるじゃないですか。

着るものを豪奢にすることとか、食べるものを贅沢にすることを目指すのはやめなさいと。野の百合は別に働いてないのにきれいに着飾ってるし、空の鳥は働いてもいないのに食べていけてる。あいつらを参考にしなさい、って書いてあるんです。

つまり、虚栄心とか、不必要な欲を捨てて、自然を参考にしなさいってことだと思うんです。

自然にしてりゃ生きていける。でも、不自然で大きすぎる欲は、身を滅ぼす、ということなんじゃないかな。

 

あるがままを肯定するのも大事なんだけど、いろんな欲がまざって「あるがまま」が歪められている可能性があると思います。

ネットワークビジネスに引っかかっているときなんかはまさにそんな感じで、お金を稼ぐのは自然な欲だから全肯定していいんだ!それが人間らしさだ!という雰囲気に負けていたんです。他人にあおられた欲だったから、満足することも成功することもなくて、いつも欠乏感の中にいる感じ。

 

一方で、教会に通っているときはどうだったかというと、それはそれで他人にあおられた道徳を軸にしていた気がします。

間違いではないんだけど、なんだか自分を騙しながら生きてるような感じで、それはそれで息苦しさがあったわけです。

 

いずれにしろ、自分なりの自然な欲の落としどころを見つけなければ、いつまでたっても苦しい。

ストッパーが外れてしまってる欲の中にいる状態も、他人の決めたストッパーの中にいる状態も、ありのままとは程遠い状態であることを認識して、欲のベクトルをコントロールできるようになるといいなぁと思います。