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ミンス記

奨学金とネットワークビジネスによる借金250万円があるけど、生きる。

移住先が決まりました

ゴールデンウィーク中に、人生初のヒッチハイクに挑戦してみました。

 

挑戦したといっても、ほとんどいやいやだったところをシェアメイトに誘われて仕方なく付き合ってみたみたいな感じなんですが、やってみたらそれがけっこう楽しかったです!

 

東京出るまでは大変でしたが、なんとGTRに乗せてもらい、深夜の4号で時速250㎞という大変貴重な経験をさせていただきました。。

 

おそらくネット上にはいろいろコツとか探せばあると思うんですが、実際やってみたときに思ったことを。

 

・行先は明確に!

今回は、東京から八戸まで行く予定だったんですが、一番最初に「北へ」ってボードを掲げてたんですね。そしたらなかなか止まってもらえず…。で、いきなり八戸に行けるわけでもないので、とりあえず「栃木」で書いて掲げてたら、すぐにとまってくれたんです。

なので、遠方への旅になる場合は、とりあえず近くの中継地点を紙に書くといいと思います。

 

・主張しすぎない程度に!(特に夜)

夜中の時間帯で、割とぐいぐい道路に出てアピールしてたのですが、どうやら通報されたらしく、お巡りさんから注意をいただきました。。ですので、夜の活動はあまりおすすめしません。

 

・睡眠はちゃんととりましょう!

夜更けごろから出発したため、車中で夜中を過ごすことになり途中寝てしまっていた場面があり、ドライバーの方には大変申し訳ないというか、ほんとに最低だったな。。睡眠は十分とってから出発しましょう。

 

こんな感じでしたが、人生初のヒッチハイクは結構楽しかったです。無事、東京から八戸に到着することができて、一安心でした。

 

 

そして、ゴールデンウィークが明けまして前からいろいろ探してました移住先が、ついに決定しました!

三重県にある古民家で賃貸募集しているのを、ジモティーでたまたま発見しまして、検討の末、契約に至りました。

どうやらDIYも可らしく、人間力を高めるのにちょうどいい感じの物件です。いまから死ぬほど楽しみです。

 

移住先を三重県にした理由は、こんな感じです。

・いままで住んだことのない場所・文化圏に住みたい

・縁もゆかりもないところがいい

・メジャーすぎない場所がいい

 

あまりにぼんやりしている。。たまたま古民家見つけたので、とくに深く考えずに決めてしまいました。

いままで深く考えていい方向に進んだためしがないので、今回は軽やかに進もうと思います。

ほんとに楽しみ。

自分をさらけ出すことの難しさ

薄々気づいてはいたものの、自分、対人恐怖症っぽいんですよね。

ウェブチェック的なものをやると、だいたい9割くらいのスコアを叩き出してしまう。

他人に嫌われることを極端に恐れていて、自分の本当の気持ちを伝えることができない。30手前になって、こんな自分の一面に気付くとは。要らない新発見。いや、気づいてよかったんですけどね。

なので、気づいてしまったからには、克服せにゃあかんです。

とりあえずググってみて、自分でもできそうだなと思ったのは、失敗談を話す、ということでした。

ダメな自分を見せる、というのがひとつの大きな解決策だと思うので、少しずつ失敗談を笑い話にして話すようにしたい。明日から、がんばってみよう。

自傷について

ストレスが溜まると、むちゃくちゃ量食べたくなったり、ジャンキーなものを欲したりすることがあると思うんですけど

あれってなんなんだろう、とふと考えてみました。

 

ある漫画で、リストカットするときの気持ちについて書いてあったのがすごくしっくりきました。

精神的に傷ついたときに、それは目で見えないけれども、そのダメージを視覚に実現するために自身を傷つけて可視化することで安心する、みたいな感じらしい。

 

ストレス溜まって過食気味になったり、ジャンキーな食べ物を欲したりするのも、身体にダメージを与えるための軽い自傷なのかなぁと。

 

精神的なダメージを、身体的なダメージに置き換えることで、人間は安心するということなんですね。

科学的な研究があるのかもしれないので、あくまで自分の感想ですが。

ある意味ではバランスを取ろうとしているような、人間の行動をちょっと興味深いなぁと思ったりします。

 

これも最近知ったことなんですが、健康という言葉の語源は「健体康心」、つまり体が健やかで心が安らかなことだそうで、心身両方のことを指す言葉らしいです。

体のほうにフォーカスされますが、本来的には心身どちらも健全なときに、健康と言えるんですね。

 

最近ほんとに食生活がガタガタなので、どうにかしなくては。。

会社を辞めるに至った経緯と、これからのこと

誰かの為に生きる という思いを込めた旗を抱き

拾ってきた笑顔の中に 自分の笑顔だけ見当たらない

 

 

BUMP OF CHICKENのfire signの冒頭の歌詞なんですが、今日ふと思い立ってこの曲を聴いていたら、この歌詞がずしんと腑に落ちた感じがしました。

 

会社員の時は、お客さんのため、チームのため、後輩のため、誰かの為に、別に誰に強制されたわけでもなく勝手にひとりでがんばってたんですね。

いろんなビジネス本や成功本に書いてありますが、「他人を幸せにすることが、自分が幸せを得る一番の方法だ」という思想って、けっこう一般的だと思います。

誰かのために、誰かのために、って一生懸命やってたつもりではあるんですが、でもなんだかつらくなっていくばっかりだったんです。

残業もしたし、休日もひとりで出勤したり、ぜんぜん別の部署の仕事を進んで引き受けたりもした。(ちなみに、みなし残業制で、残業代は一切出ない会社でした)

給料が上がる見込みがなくても、「お金のためじゃない、社会のために頑張ってるんだ。それが結局は自分のためになるんだ。」って、信じて疑いませんでした。

仕事自体も、正直そんなに嫌いではなかったし、プロジェクトのスケールも大きく、自分の業務がそのまま社会のためになるような実感もあった。ただ、プレッシャーはけっこう強かった。そのうえ、見栄っ張りな性格が災いして、上司に助けを求めたりもあまりできなかった。

少しずつ周りの評価が上がっていくにつれて、成果が下がったら恥ずかしい、もっとがんばろう!と見栄っ張りをどんどん加速させていきました。

 

結果として、自分の時間はどんどんなくなっていくし、体調は悪くなっていくし、食生活も荒れていくしで、今思えば、ほんとに命を削ってるような感覚。

だんだんトイレで食べたものを吐くようになってきました。さらに頭痛も治らなくなってきた。

 

駅のホームに立っていた時、「このまま飛び降りたら楽になるなぁ」という思いがよぎったときに、もうこれはだめだと正気になって精神科に行きました。適応障害の診断書をもらってきて休職しました。会社に連絡するのは、申し訳なさと情けなさでいっぱいでしたが、もうそんなこと考えている状態じゃないと思いました。

 

「誰かのために」という想いは、すごく大事だと思います。僕は独身ですが、家族がいたらなおさらがんばらなきゃって思うかもしれない。

 

でも、それが自己犠牲的な性格を帯びてきて、自分が苦しんでいる声を無視し続けると、どこかで必ず壊れてしまう。

そもそも、その「誰かのためにがんばるのが善」という思い込みは、自分が納得して出した答えではなく、誰かが言っていたことをそのまま信じていただけだった。

「誰かのためにがんばってる自分かっこいい」みたいな、自己陶酔の気持ちもあって、余計にめんどくさいことになっていたと思います。いや、今思えば本当はその自己陶酔が一番強かったのかもしれない。

 

旅立つ人よ その行く先を

照らす明かりは 君の中に

 

だから、これからは、誰かが言ったことではなく、本に書いてあったことではなく、自分が正しいと思ったことを行動に換えて、自分の言葉にしていくしかないと思うんです。答えは、自分の中にしかないのかもしれません。

 

そんなことを思った無職の昼下がりでした。

 

とりあえずバイトを探します!(笑)

欲のベクトル

人間にはいろんな欲がある。

 

基本的な生存に欠かせない食欲とか睡眠欲とかもあれば、社会的な欲である見栄、虚栄心、金銭欲とか。

あとは、やりたいことをやる、好きなことをやる、とかも一種の欲ですよね。

サッカー選手になりたい、とかの夢も欲と言える。

 

便利に生活したい、他人を便利にしたいとかも欲だし、それが技術の進歩と経済の成長を実現してきたし、一方で環境の破壊や、生まれた時点での格差をも生んできた。

 

人間にとって、ほんとうに必要な欲ってなんなんだろう、と思うんです。

 

ふたつの極があるとすれば、清貧を美徳とする立場と、すべての欲を完全肯定する立場。

いままで生きてきてぼくは割と極端で、どちらかの極にいて、バランスをとるということができなかった。

 

世の中金がすべてだ、と言わんばかりにとにかく金を追い求め、過労で病むまで働いたり、ネットワークビジネスに手を出したり。

性欲は生物として必要な欲だ!と思って日夜合コンに励んだり、出会い系に手を出したりもした。

かと思ったら、聖書を読みまくって教会に通い、

「清貧こそ人間のあるべき姿、金持ちは天の国に入ることはできない…アーメン」

と祈ることも。

 

いずれにしろなんだか危ない人なんだけど、とにかく生きる軸みたいなのが欲しくて必死だったんだと思います。

 

最近は、いったんシンプルに考えてみることにしました。

幸せに生きるために必要な欲って、なんなんだろう、どのくらいなんだろう、と考えたわけです。

 

重要なのは、欲のベクトル、つまり、欲の大きさと方向性を冷静に分析して、コントロールできることなのではないか。そのときに参考にするべきものが、自然だと思うんです。

 

欲を冷静に分析する、というのはブッダの四聖諦の考えだと思います。(半端な知識)

それから、ちょっとだけ聖書を参照すると、野の百合、空の鳥を見なさい、ってあるじゃないですか。

着るものを豪奢にすることとか、食べるものを贅沢にすることを目指すのはやめなさいと。野の百合は別に働いてないのにきれいに着飾ってるし、空の鳥は働いてもいないのに食べていけてる。あいつらを参考にしなさい、って書いてあるんです。

つまり、虚栄心とか、不必要な欲を捨てて、自然を参考にしなさいってことだと思うんです。

自然にしてりゃ生きていける。でも、不自然で大きすぎる欲は、身を滅ぼす、ということなんじゃないかな。

 

あるがままを肯定するのも大事なんだけど、いろんな欲がまざって「あるがまま」が歪められている可能性があると思います。

ネットワークビジネスに引っかかっているときなんかはまさにそんな感じで、お金を稼ぐのは自然な欲だから全肯定していいんだ!それが人間らしさだ!という雰囲気に負けていたんです。他人にあおられた欲だったから、満足することも成功することもなくて、いつも欠乏感の中にいる感じ。

 

一方で、教会に通っているときはどうだったかというと、それはそれで他人にあおられた道徳を軸にしていた気がします。

間違いではないんだけど、なんだか自分を騙しながら生きてるような感じで、それはそれで息苦しさがあったわけです。

 

いずれにしろ、自分なりの自然な欲の落としどころを見つけなければ、いつまでたっても苦しい。

ストッパーが外れてしまってる欲の中にいる状態も、他人の決めたストッパーの中にいる状態も、ありのままとは程遠い状態であることを認識して、欲のベクトルをコントロールできるようになるといいなぁと思います。